「…何故、残った?」
軍師は彼を見下ろし、言った。
魏国本陣。もう少し奥まった所には魏国王が、自らの妻と共にいる。
軍師はその本陣の中央辺りにいた。
すぐ前には下りの階段、そしてその真ん中、平らになった所に、彼は軍師に背を向けて立っていた。
しかし軍師の言葉に振り向く。
「私が、邪魔ですか?」
黒く長い髪に整った顔立ち。それを柔らかく微笑ませ、紫の皮鎧を纏った男が口を開いた。
「そういうわけではないが」
「ならば、私がどこにいようと私の勝手でしょう」
はっきりと言ってもう一度彼は笑うと、また軍師に背を向けた。
軍師は心の中で、(生意気な奴だ。)と思った。
なぜなら軍師はさっき、彼に一つの命令を下していたからである。
それは戦場の最前線へ行けと言う命令であったが、彼はそれを断ってここにいるのであった。
「…あ」
ふいに彼が上げた小さな声に、軍師は顔を上げる。
「星が」
見上げると、小さな星が一つ、空を滑って消えてゆくところだった。
消える瞬間、一度だけ大きく輝き、その星は視界から永遠にその姿を消す。
「…何をしている」
地上に目を戻せば、彼が胸に手を当て、星の消えた方角を眺めていた。
その目は、軍師には見えないどこか違う所を見ているようで、軍師は少し怒りを感じた。
「何をしている」
「…祈りを、捧げていました」
「祈り?」
語気を少し荒げて聞けば、そんな回答が。
思わず聞き返した軍師に、彼は振り向きもせずその手を胸から下ろさずにゆっくりと言った。
「星は、人の命だと聞きました。…今、この世界に存在していた一つの命が、落ちたのでしょう」
だから祈りを捧げているのだと。
軍師には、良く分からなかった。
自分の知らない誰かの命のために祈る必要がどこにある?
だから軍師は、そのまま彼に言った。
「私が、そうしたいと思ったからです」
「…そうしたいと思った?」
「もしも自分が死んだ時、誰かが祈ってくれていたら、嬉しいでしょう?」
「…」
彼は、振り向いて軍師の顔を見、そして言った。
そしてまた視線を消えた星の方へと戻すと、もう何も言わなかった。
しばらくそのままじっとしていて、ゆっくりと手を下ろした。
長い沈黙の後、軍師は彼の名を呼んだ。
「何ですか?」
「…お前が死んだら」
「?」
「お前が死んだら、私は祈ってやろう」
軍師の、無意味に偉そうな雰囲気に、彼は苦笑した。
「知らない誰かの為に祈るのは面倒だし無意味だが」
軍師の言葉に男は、貴方らしいといって肩をすくめた。
軍師はそんな男をチラリと見ただけで話を続ける。
「知っている奴の為に祈るなら、意味があるように思うからな」
「…」
「だからお前も」
「?」
「私が死んだら、祈れ。」
軍師は、真剣な表情だった。
彼は微笑み、そして言った。
「元よりそのつもりです」
次に黒い空に流れ星が落ちたとき、彼はまた手を胸に当て、顔も知らぬ誰かのために祈った。
軍師はそんな彼を見つめただけで、祈ろうとはしなかった。
『その』戦は昼間に行われたから、軍師が流れ星に祈りを捧げることは、永遠になかった。
同時に、軍師のために彼が祈る機会も、同時に失われたのだった。