「大丈夫かっ!?」
勢いよく医務室の扉が開いて、入ってきたのは夏侯淵だった。
その後ろから夏侯惇も入ってくる。
「病室ではお静かに」
入り口近くに立っていた医療班の女性が、そう言って夏侯淵を睨みつける。
夏侯惇に後ろから頭を小さく小突かれ、夏侯淵はあせったように口を押さえた。
小さく詫びるように頭を下げ、こそこそと寝台に近づいた。
その部屋は、病室といっても個人用の部屋で、一人しか収容できない。
その寝台の上に、今は、夏侯淵たちの良く知った一人が横たわっていた。
「張コウ」
「おや、夏侯淵殿、夏侯惇殿も」
自分を呼ぶ声に、医者らしき男と喋っていたのをやめ、張コウがこちらを向く。
「…元気そうだな」
ほっとしたように夏侯淵が言う。
「いや、お前が大怪我して運ばれたって聞いたからよ、様子を見に来たんだ」
「わざわざ来てくださったのですか?」
「い、いや、丁度こっちに来る用事があって…」
慌てたように視線をおどおどとさ迷わせながら夏侯淵が言う。
そんな従兄弟の様子を見ていた夏侯惇が、苦笑して口を開いた。
「こいつな、それを聞いたとき、すごく狼狽していたんだぞ?」
「え?」
「と、惇兄!!」
「『今すぐ会いに行く!』って言って聞かないし、『どうしよう』ってずっと」
「惇兄!」
とうとう夏侯淵が拳を振り上げるが、本気ではないので軽くかわされてしまう。
彼が喋るのをやめさせようと、もう一度拳を振り上げた時、一つの声がその手を止めた。
「夏侯淵殿」
「お、おう?」
「…ありがとうございます」
その笑顔を見てしまうと、もう夏侯惇を責めるわけにもいかなくなってしまう。
夏侯淵はやり場をなくした拳を下ろし、赤面したまま、おう、と頷いた。
「で、張コウ。怪我は?」
話を変えるように、夏侯惇が言う。
「あ、はい」
夏侯淵は彼の体を見た。
薄い着物を一枚羽織っているだけの体は、数箇所が包帯で覆われている。
「頭、切ったのか?」
「ええ。でもちょっとだけですよ。出血だけは酷かったようですけど」
「腕も?」
「あ、いえ。これは、ちょっと、骨が…」
「折ったのか!?」
「いえ、ひびだけで済んだみたいです。治るのにも、そんなに時間がかからないって」
言いながら視線で医者に問いかけると、医者は軽く頷いた。
その台詞に、夏侯淵はほっとため息をつく。
「だが…どうしてそんな怪我を?」
当然の疑問を発したのは夏侯惇であった。
張コウは少し首をかしげて苦笑する。
「…実は、倒れてきた櫓の下敷きにされてしまいまして…」
「櫓の?」
開いた口がふさがらないとはこういうことだろうか。
張コウほどの猛者が大怪我をし、それがどんな激戦を繰り広げた結果なのかと思えば…。
「いやぁ、戦場では思いもよらない所から敵が来るのだと、身をもって体験しましたよ」
次からは油断しません。という張コウに、思いもよらなすぎだよ、と夏侯家の二人は同時に突っ込んだ。
まだ仕事があるから、と夏侯惇が部屋を出て行く。
診察と看護に一区切りが付いたようで、医者達も部屋を出て行った。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいませ」
「ええ。ありがとうございます」
部屋には、張コウと夏侯淵の、二人きりになった。
「いやー、でも、大変だったなぁ」
夏侯淵は張コウの腕の包帯を見つめ、言う。
「骨、ひびだけでよかったな」
「ええ…でも、結構痛いんですよ?」
何より利き腕だから、何も出来ないのが辛いです、と彼は言った。
「文字だって書けないし、お箸だってうまく使えないんです」
「あー、そうかそうか。そんな面倒さもあるんだなぁ」
夏侯淵は、寝台の横の机の上に昼食らしき皿と箸が置いてあるのに気付き、その箸を手にとってみる。
「あー…確かに難しいや」
わざと利き腕と反対の手で持ってみるが、思うように動かせないばかりでなく、うまく力も入らない。
「だからお昼ご飯も、結構残してしまったんですよ」
置いてある皿の中には、開いて干した魚が一尾。
器用な彼にしては珍しく、端のほうがぞんざいにほぐされているだけで、ほとんど手を付けた様子がない。
「…問題は小骨だな」
「ただでさえうまくお箸が使えないのに、これはないですよねぇ?」
苦笑いで張コウが言う。夏侯淵も苦笑するしかなかった。
「まだ食いたいのか?」
「そりゃあ。ほんの少ししか食べられなかったですもの」
「じゃ、俺がほぐしてやるよ」
「本当ですか!?」
「おう、まかせろ」
夏侯淵は皿を手に取り箸を利き手に持ち直して、魚の身をほぐしはじめた。
夏侯淵にはその魚の名は分からなかったが、脂が乗っていておいしそうである。
小骨は意外と太く目立つので、気の短い夏侯淵でも楽に取ることができた。
「ほら、できたぜ」
数分の後には、その魚は、皮と骨が外され、綺麗に身だけをほぐされた状態になっていた。
かなり食べやすい状態になっているのだが、張コウは何を思いついたのか、
「でも、私、お箸がうまく使えないから食べられないですよ…」
「なんだよ、食べやすくしてやっただろ?」
「ええ、それは、とても感謝しています」
でも、と張コウは一拍置き、夏侯淵を上目遣いで見上げる。
「どうせなら、ついでに、食べさせていただけませんか?」
「…は?」
「駄目ですか?」
悲しそうな声色に、慌てて夏侯淵は首を振る。
「ね、食べさせてくださいよー」
「あー、わかったわかった。食わせてやるからちょっと待て」
彼に見えないようにこっそりと、張コウはガッツポーズを取った。
「…ほらよ、口開けろ」
「はい!」
あーん、と嬉しそうに口を開ける張コウの口に、箸で摘んだ小さな欠片を放り込む。
ぱく、と口が閉じられ、張コウはもぐもぐと口を動かす。
「うまいか?」
「はい!」
別に自分が作ったわけでもないのに、喜ばれると何だか嬉しくなる。
夏侯淵は、次の一口分を摘んで、また口を開けるように指示した。
しばらく、それだけが静かに続く。
夏侯淵が魚の欠片を箸で摘みあげると、張コウが口を開け、そこに魚を放り込む。
張コウがそれを咀嚼し飲み込むと、夏侯淵はまた魚の欠片をつまみあげる。
繰り返しているうちに夏侯淵は、奇妙な既視感に襲われた。
(ああ、鳥の親子だ)
親鳥が雛のために餌を取ってくる。親が帰ってくると雛は口を開け、餌をねだるのだ。
何だか自分が彼の保護者になったような感じがして、夏侯淵は少し笑った。
「?どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
こんな事言ったら、きっと張コウは機嫌を悪くしてしまうだろうから。
「ほら、まだ結構残ってるぜ?」
苦笑しながら、次の一口分をまた箸の上に乗せ、差し出した。
訝しがりながらもまた張コウはそれを食べ、この奇妙な『餌付け』はまだ続く。
「魚ばっかりじゃ、さすがに飽きたろ」
皿が空になるころ、夏侯淵が口を開いた。
「いいえ。あなたが食べさせてくださったから、とってもおいしく食べられました」
ありがとうございます、と笑う張コウに、夏侯淵も笑みを返す。
「お時間、取らせてしまってすいませんでした」
「いや、いいさ。どうせ何にもすることねーしな」
「ありがとうございます」
「いやいや、そんな大した事、してないしな」
その夏侯淵の言葉に、張コウはいいえ、と首を振る。
「とっても嬉しかったです。幸せでした」
そこまで言われると、夏侯淵も照れるしかない。
「…ま、またやってやるさ。どうせ、腕治るまでって、時間かかるんだろ?」
「…っ!はいっ!」
顔をぱぁっと輝かせて張コウが大きく頷く。
このときほど、怪我して良かったと思ったことはなかった。
どちらからともなく見詰め合っていて、二人は照れたように笑った。
途端。
「張コウ殿っ!」
「わぁっ!?」
バタン!と扉が開き、何人かの人影が部屋に踊りこんでくる。
「司馬懿殿、徐晃殿、張遼殿、典韋殿…」
それはいずれも彼の知り合いたちで、それぞれ手に何やら持っている。
「どうしたんです?」
「おう、お前が怪我したって夏侯惇の奴に聞いてなぁ」
「様子を見に来たのでござるよ」
「ついでに、お土産も持ってきましたぞ」
「心配したぞ、馬鹿めが!」
どれが誰の台詞かは推して知るべし。
「ほれ、食え!食って早めに怪我を治せよっ!」
「!?」
ひびが言っていることを忘れ、思わず差し出した両手の上に落とされた圧倒的な重さ。
少し涙が出た。
「なんですかコレ…西瓜?」
「おう!まぁ…ちぃっと季節は早いがな」
「わぁ、私、西瓜好きなんですよ。ありがとうございます」
「私からはこれを」
「おや、張遼殿、これって手作りですか?」
「ああ。まあ、得意だからな」
細かく彩られた小さな焼き菓子は、彼の外見とは似合わない気がしたが。
徐晃は暇を潰せるように、と、本を持ってきていた。
それもありがたく受け取る。
「司馬懿殿は?」
少し期待しながら聞くが、
「私が何か持ってくると思ったか?」
「…そうですね、私が悪かったです」
意味もなく胸を張ってみせる司馬懿に、どこか諦めた調子で張コウが言った。
「おーい張コウ、この部屋って包丁あるか?」
西瓜を切りたいんだが、と言う典韋に、張コウが振り向いて答える。
「確かなかったと思いますが…」
「しゃーねぇ。『これ』で割るか…」
「やめてくださいよ、部屋を壊す気ですか?」
どこからともなく彼の得物、斧を取り出した典韋を、張コウは慌てて止める。
「冗談だって、冗談」
笑って言う典韋の横では、張遼が手作り菓子の数と部屋の中の人数を合わせている。
「1、2、3…おお、丁度6人ですな」
「ぴったりですなぁ」
「おーい張コウー、様子を見に来たぞぉー」
「って許チョ殿!?」
「まずい!食べ物を隠せーっ!!」
「ん?何か、甘い匂いがするなぁ??」
次第に騒がしくなっていく部屋の中で、張コウは思った。
こんなにみんなが優しくて楽しいのなら、怪我くらいしたっていいかなぁ、と。
ふいに、隣に座っていた夏侯淵と目が合う。
どちらからともなく見詰め合っていて、同時に苦笑した。
その後部屋に来た張コウの担当医に、騒ぎすぎだ馬鹿めがと全員が叱られたことは、言うまでもない。