そんなことをウソップが言い出したのは、今年がもう、時計の針で言う30度を切った頃のことだった。
おせちの支度も終わり、年越しそばすら既に食べ終えたので、年末のコックの仕事はおしまい。
毎年恒例の音楽番組を流していたラジオも既に静かにニュースを流すだけとなっているような、そんな静けさの中で放たれた言葉だった。
キッチンにはほとんど全員が残ってはいたが、ベンチの方で食後のお茶を楽しんでいる『大人組』と、カウンターの辺りでだらだらしているおれたちに別れている。
一人だけいないのはゾロで、食後すぐに見張り台に上ってしまったようだった。確かに今日は奴の見張り当番ではあったが、こんな日なのだ、一日くらい休んでもバチは当たらないだろうに、とは思う。
おれはやっと吸えたタバコの煙を吹き上げて適当に聞き流そうとしたが、食いついたのは、暇を持て余していた船長で。
大方、おせちに食いつけなかった分を―ナミさんとチョッパーに妨害をお願いしてあったのだ―せめて、面白い話で埋めようということだろう。
「何だ何だ?それ、どういうことだ?」
「ふふん、言葉の通りだよ、ルッフィー君!」
ルフィの食いつきに満足したのか、ウソップは腕を組み胸をそらす。
「地上にいなかったのか?じゃあどこにいたんだ?」
首をかしげ聞いたのはチョッパー。
ずっとルフィを抑えてくれていたのだから、後で栗きんとんでもおまけしてやろうと思う。
「ふっふっふ、知りたいかね?」
「知りたいぞ!」
「もったいぶるなよー」
「どうせウソだろ」
…という、おれの発言は綺麗に無視されたらしい。
ウソップはことさらおれに背を向けるようにしてルフィたちの方を向き、胸を張る。
「じゃあ教えてやろう。その瞬間おれは…空にいたのだ!」
「スゲー!」
「空島かァ!?」
歓声二重奏。
「いや、さすがに空島ではねェけどな…」
と、ウソップの言葉が一瞬止まった所に、冷たい声が割りいる。
「ジャンプしただけでしょ」
「ナ、ナミィ!?」
ナミさんだ。
雑誌に目を落としながらの冷たい声と麗しい横顔に頬が緩みそうになって、おれは慌てて表情を引き締めた。
「どういうことだかわかるのかい、ナミさん?」
「だから、年越える瞬間にただジャンプしただけなんじゃない?」
「うぐ」
「正解でしょ」
「ま…まァ、そうとも言う」
ウソップは開き直ったように仰々しく頷いて見せた。
「ナミさん良く分かったね!さすがナミさん!!」
「はいはい、ありがとうサンジくん」
メロリン、と話しかけた声も半ば無視される形にはなってしまったが、そのありがとうの一言だけで幸せだ。
幸せなおれと対照的に、ぶーぶーと頬を膨らませているのはルフィとチョッパー。
「何だよー、ジャンプしただけかよー」
「もっとすごい冒険の話かと思ったぞ」
「…だけど、ウソではねェだろ?」
なァサンジ、おれ嘘ついてねェよな?なんて。振り返ってこっちに同意を求めてくる。
さっきはこっちを無視したくせに、都合のいいときだけこっち見やがって…とは思うものの。
「まァ…嘘にはならねェだろうな。屁理屈かもしれねェが」
「だろ!?な、聞いたか。嘘じゃねェってお墨付き貰ったぜ」
あ、ナミさんが呆れている。しまったな、ここはナミさん側について『屁理屈』を強調するべきだった。
しかし時既に遅し、おれのお墨付き―それが何の免罪符になるのかは良く分からないが―を貰ったウソップは、またルフィとチョッパーと盛り上がっているようで。
「じゃあさ、今年は全員でやろうぜ!」
そんなことを言い出したのはルフィ。
「お、いいなそれ」
「それなら全員でやろう!」
賛同する声は二つで、ナミさんの漏らした盛大なため息も聞こえないようだった。
「全員でやるのはいいが…おいルフィ、もうあと2,3分しか残ってねェぞ」
「何が?」
「今年」
おれの声に、三対の目が一斉に時計を見る。
その間も、進み続ける秒針。
「…ぎゃー、ヤベェ!もう2,3分しか残ってねェじゃねェか!」
「だからそう言ってるだろ」
「チョッパー!ゾロ呼んで来い!見張り台だ!」
「お、おう!」
ルフィに命じられ、どたばたとチョッパーが駆け出す。
「ナミ!」
「え、何?」
続いてかけられた声に、ナミさんが驚いて顔を上げる。
「手ェ繋ぐぞ!」
「え、何で?」
「バッカだなァ、一緒に空で新年を迎えるんだ!」
そう言って、ルフィがナミさんに手を差し出す。
何と羨ましい状況だ。だが、ナミさんが微かに顔を赤くしているので、おれは口を挟まないで置こうと思った。
「う、うん、わかった」
ナミさんが、その手をそっと取った。
ルフィの笑顔が深くなる。ナミさんも、つられるように微笑んだ。
そしてもう片方の手もまっすぐに、
「よーし、じゃあこっちはウソップだ!」
「おう!」
「…」
あ、ナミさんがすごい微妙な顔をしている。
でも、結局何も言わないようだった。ため息だけ一つ。そして、浮かべるのは苦笑。
その苦笑の意味を、きっとルフィは知らないのだろう。いつか絶対気付けとは思うが、教えてはやらないつもりだ。
だって、ナミさんの心を知らないルフィもウソップも馬鹿だと思うし、
「サンジ!」
苦笑するナミさんの手じゃなく、こちらを振り向いて差し出されたその骨ばった手を、
「おう」
掴んでしまう―しかも嬉しいと思ってしまう―おれも大概馬鹿だから。
しかし、いくらサニー号が広いとは言っても、4人手を繋いだ状態ではかなり不自由だ。
さらにルフィは、あと5人繋げようとしているのだからなおさらで。
「甲板に出ればいいんじゃないかしら」
提案は、ベンチの方からの声。
「ロビンちゃん、聞いてたのかい?」
「ええ。面白そうな話じゃない」
にっこり笑ってロビンちゃんが言う。
「甲板なら、全員で手を繋いだって余るくらい広いわ。ね、フランキー?」
「アウ!そうだな、甲板は9人程度じゃ全然埋まらねェ広々設計だぜ!」
急に話を振られたフランキーが腕を組みにやりと笑って答える。
「おう、そうだな!もう、ほとんど時間ねェし」
ルフィがちらりと時計に目をやる。もう、今年は1分くらいしか残っていない。
「よし、甲板出るぞ!みんな付いて来い!」
叫んで、ルフィが甲板へと駆け出す。
「お前ら三人とも、手を繋げ!」
飛び降りて甲板の中央まで走り出て、ルフィはまだ手を繋いでいない三人を振り返った。
「オウ、了解だぜ!」
「わかったわ」
「ヨホホホ〜、承知しました!…ナミさん、お隣よろしいですか?」
「ええ、いいわよ」
「ありがとうございます。…ついでにパンツ見せて頂いても?」
「見せるかァ!」
手を繋いだまま回し蹴り、というなかなかに珍しい技をナミさんがブルックにお見舞いしている間に、おれに近づいてきたのはロビンちゃん。
「隣、いいかしら?」
「もちろんですともォ!こちらからお願いしたいくらいだよ!!」
「うふふ」
ロビンちゃんの柔らかくて細い手が、おれの左手を掴んだ。
右手に触れる硬くて骨ばった手とは大違いだと思う。
「フランキー」
「おう、じゃあおれの立ち位置はここだな」
ロビンちゃんに呼ばれて、フランキーがその隣へ。
「あと15秒」
ナミさんが口を開く。
麗しいウェストに揺れているのは携帯ラジオだ。そこから、どうやら何かの番組のカウントダウンが響いているらしい。
「チョッパー!まだか!?」
「駄目だルフィ!ゾロ寝てるんだ!」
「何ィ!?」
見張りのクセに、と誰もが思ったことだろう。ルフィが続けて、見張り台から上半身を乗り出しているチョッパーに向かって叫ぶ。
「もういいよ!起こさずそのままつれて来い!」
「わ、わかった!」
チョッパーの上半身が引っ込み、ナミさんの冷静な声が響く。
「あと5秒」
「チョッパー急げェ!」
「あと5秒だぞォ!」
「4」
「チョッパー!」
「チョッパー!!」
全員、見張り台を見上げた。まだその姿は見えない。
大体、寝てるゾロを背負って、あと4秒でマストを降りられるものだろうか?
「3」
「うおおおっ!!」
ナミさんのカウントダウンの声に、雄たけびがかぶさった。
見張り台から飛び出した影は、それは―
「うおー!チョッパー!!」
「急げ、チョッパー!!」
「2」
満天の星空と満月をバックに、飛び出したのは重量点のチョッパーで。
その肩で、飛び降りる際の慣性の法則に従って脱力しているのはゾロだ。多分イビキをかいている顔だ、あれは。
「1」
「行くぞ、野郎共!」
「おう!!!」
ルフィの声、そして全員の声。
腰をためて、足に力を入れて――
「って、あんた跳んだ瞬間オナラしたでしょ!」
「ヨホホホすいません!力んだから出ちゃいました!」
「しっしっし!!やっぱお前面白いよな!!」
「あんたも笑うなァ!」
あっちではナミさんがルフィとブルックを思いっきり蹴っ飛ばし、
「ん…?もう朝か」
「違うよゾロ!まだ夜中だ!」
「夜中か…じゃあ寝るか」
「だ、駄目だ駄目だ!今から新年会をやるんだぞ!!」
そっちでは寝ぼけたゾロに必死でチョッパーがツッコミを入れ、
「新年を空で迎えたのなんて、初めてだわ」
「アウ!おれも初めてだ!だが、一体感があって面白かったな」
「そうね。また来年もやりたいものだわ」
「そうか…?少しガキっぽい気もするが」
向こうでは、ロビンちゃんとフランキーがオトナな感想を語っていたり。
『去年』から数秒経っただけだというのに、全ての物事が変わって新しくなったような感覚。
それを、全員感じているのだろう。
「さて…と」
おれは、そんな仲間たちを眺めてから立ち上がることにする。
コックのおれには、年越し一番の仕事があるから。
「サンジ!」
呼ぶ声は、さっきまでゾロに呆れていたはずのウソップの声。
「どうした、ウソップ?」
「新年会の用意だろ?手伝うぜ!」
「おう。ありがとな」
笑顔に笑顔で返答を。
「…じゃあ、まずはおせち出すぞ。1から30段はおれが持ってくから、残りはお前が持ってきてくれ」
「30段!?ってお前何段作ったんだよおせちを!!」
「痛ッ!てめェ、今本気でツッコミ入れたろ!」
そしておれたちは、そんな去年と変わらないような軽口を叩きながら、キッチンへ向かうのだ。
年は去り、年は来る。
地上で、海上で、はたまた空で。
毎年どころか毎日の速さで世界は変わり、おれたちも変わっていく。
あと何度、こうやって全員で手を繋ぎ年を越えられるかも分からない。
…それでも、変わらないものだってたくさんあると思うから。
例えば、アイツのツッコミの容赦なさとか。
とりあえずは、痛すぎたツッコミのお返しを、
蹴り一発で勘弁してやろうと思う。