それは、本当に些細なことから始まった。
昼飯のあと、皿洗いを手伝いながら馬鹿みたいに明るい話題を提供してくれた陽気な横顔がちょっと気になって、今お前好きな奴いるの、と聞いたら特にいない、という返答が帰ってきたので。
「んじゃ、俺と付き合ってみねェ?」
「え、何でお前と?ってかお前女好きなんじゃねェの」
「別にいいだろ。それとこれとは別問題だ」
「そうかー?まあ…別にいいか。お前イケメンだし」
「何だそりゃ」
そんな、どうでもいい会話が最初だった。
許可を得たので口付けてみたら、意外と手馴れていて少し驚いたことを覚えている。
驚いたといえば、初めての夜も驚いた。
上と下とどちらがいい、と聞いてみたら、下なら慣れてると答えられたから。
「慣れてる?何で?」
「10にも満たない子供に出来る仕事なんて、そうねえだろ」
でもその経験が今生きてるんだから世の中どう転がるか分からない、と笑って見せたアイツに、俺は苦笑を返すことしか出来なかった。
とある島に寄ったとき、初めてのデートをした。
しかし事情を知らない仲間たちに色々な買い物を頼まれて、これじゃあいつもの買出しと変わらないぜとむくれるアイツに、それなら手でも繋ごうか、と提案してみた。
「でも、両手は荷物でいっぱいだ」
代わりに、いつもなら寄らないような華奢なアクセサリィショップに寄って、細い銀のネックレスをお揃いで買った。
「つけて」
そうアイツが言うものだから、俺は荷物を一度道端に置いて、その首に銀の鎖を巻いてやった。
アイツの首は思ったよりも細くて、このまま銀の鎖を引っ張ったなら簡単に死ぬのだろうな、と思った。
「今お前がそのネックレス引っ張ったら俺死ぬなあ」
ちょうど同時にアイツがそう言ったので、ちょうど俺もそれを考えてたと答えたら、俺たち気が合うなとアイツは笑った。
お揃いのネックレスは帰ったらすぐに皆にばれたけれど、アイツが明るくいいだろ、と見せびらかしまくっていたので、逆に俺たちの仲を勘繰られることはなかった。
バレたくねえの?と、ある夜の行為のあと、アイツはそんなことを言い出した。
正直に言ってそれはあったが、俺はアイツをそろそろ持て余していた。
アイツは、何も持とうとしないということに気づいたから。どんなものもすぐに諦める。
それはルフィに奪われた夕飯のデザートだったり、海に落としたボタンだったり、気持ちだったり、プライドだったり。
例えば俺が誰かといるとき。アイツはちょっとだけこちらを見て、すぐに諦めて手元の作業に戻ってしまうのだ。そういう時、俺は少しでいいからやきもちを焼いてほしいのに。
例えばアイツが誰かといるとき。でも俺が一言呼べばいつだって駆け寄ってくる。お前は犬かとその額を小突いたら、お前の犬にならなってもいいよとアイツは笑った。俺は、アイツと同列でいたいのに。
アイツは自分のために何も持とうとしないのだ。誰かが自分の欲しいものを手に入れたときその隣で喜んでいるだけ。自分の本当に欲しいものでもきっと諦めて隣の誰かが喜ぶために渡すのだろう。
どうせ双方お遊びの恋に、そんな重石はいらない。
やっぱり俺たち無理だったな、と明るく言ってやったら、だけど、アイツは少し予想外の表情をした。いつも通り、すぐに諦めてくれると思ったのに。
しかし、なんだそうか、と言ったアイツの顔はいつも通りの陽気な笑顔で、俺は少し誤解した。
「何だ、俺もお前のこと愛せるようになったのにな」
そのままの顔でそう言って、裸のままするりとアイツは出て行った。
一瞬『も』の意味について考え込んでしまった俺は、もしかしたらこのまま海に飛び込むんじゃないかと慌てて飛び出したが、アイツはただ風呂に向かおうとしていただけだった。
揺れる裸の背中を見ながら、そういえば俺はアイツに一度も愛してるなんて言ったことがなかったな、と考えた。
多分、それだけの関係だったのだろう。
心臓がどくどく言って痛いほどだったが、それはこういう場面になれていないからだろうと思う。
今のアイツが誰と付き合っているのかは知らない。誰とも付き合っていないのかもしれない。
少なくても表面上は何も変わらないいつも通りの日々が過ぎていた。アイツは、昼間は特に俺と特別絡むわけではなかったから。
ふとタバコを吸おうとシャツのポケットを漁ったら、銀の鎖が出てきた。
同時に、アイツの絞め殺せそうな細い首を思い出して、ちょっとだけ興奮した。
銀の鎖をもう一度首に巻いてみようか、と思ったがそれをやめ、代わりに海に投げ込もうか、と振りかぶってやはりやめ、もう一度シャツのポケットに投げ込んでおくことにした。
顔を上げたその一瞬、目が合ったアイツの首に、まだその細い銀の鎖が巻き付いていたので。
実はもうおれは、あの日の「も」の意味に気づいている。