それからしばらくは、平穏だった。
何も変わらないように見えた。
ルフィは食料泥棒をし損ねてはキッチンから蹴りだされ、ナミは船室で海図を描き、そしてゾロとサンジは毎日喧嘩をして。
多分、ゾロとサンジの関係が変わったことは、おれしか知らなかったと思う。
だからだ。
ナミが、自分の思いをサンジに伝えてしまったのは。
「ナミさんに告白されたんだ!」
サンジはキッチンで浮かれていた。
「ああ、こんな日を何度夢見たことか!夢じゃねェよな?おいお前、おれの頬を抓ってみろ」
「ぎゅ」
「痛ェ!何すんだこのクソ野郎!…ああでも痛ェってことは夢じゃねェ!?」
「…お前が抓れって言ったんだろうが…」
サンジの頬をつまんだとたんに椅子ごと蹴り倒され、おれは床に倒れたまま遅すぎるツッコミを入れた。
「ああ幸せだ!おれァ何て幸せなんだ!!」
目もタバコの煙も器用にハート型にして、くねくねと揺れながらサンジが叫ぶ。
この姿を見たらナミはその告白を取り消すんじゃないかなあと、ちょっとだけ思う。
起き上がって椅子を起こし、おれはもう一度座りなおした。
「…で?」
テーブルに肘をついて、サンジの顔を見る。
「どうすんの?」
「何が」
「告白。受けんの?」
「当たり前だろうが!」
だってナミさんなんだぞ、レディなんだぞ、と、おれにはちょっと良く分からない理論をまくし立てるサンジ。
おれは、そんなマシンガンなトークをぼぉっと聞いていた。
特にその話を理解したいとは思わなかったし、おれが聞き流しているのを知りながらサンジが喋りたてているのは分かっていたから。
「…いいのか?」
「ん?何だ、長ッ鼻」
「お前、好きな奴…とか、いねェの?」
いるだろ、と言いかけて、危うく語尾を変えた。
だけど、浮かれたサンジは気付かない。
「いたこともあったけどな、お前、ナミさんだぞ!?絶対にこの想いが叶うわけねェと思っていた!」
つまり、そうか、とおれはその言葉で納得する。
サンジにとってナミやロビンたち、レディというのは自分の手が届かない高嶺の花だったのだ。
だから、届く場所にある雑草―サンジに言わせれば、それはレディに比べれば雑草みたいなものだろう―を見ることにしたのだ。
だけど、その花の方から近寄ってきてくれた。
それなら、雑草には興味がない。そういうことなのだろう。
サンジの笑顔は心からの物に見えた。
だから、おれも笑う。
「良かったな」
「おう!」
その笑顔がずっとずっと見られるなら、その時心にある相手はあいつじゃなくても―おれじゃなくても―構わない。
その次の日、朝飯前にキッチンを覗いたら、いつも見る金髪の細い背中の隣に、みかん色の髪が並んでいた。
壁と窓を越しても伝わってきそうな金髪の浮かれっぷりに、思わず頬が緩む。
と、そんなことをしていたら。
「…ウソップ」
「うお!?」
驚いて振り返れば、そこに立っていたのはゾロだった。
「あー、何だゾロか。驚いたー」
「コックを見てたのか」
ちらりと窓から中を覗いて、ゾロが言う。おれは頷いた。
「ん?あ、そう。あいつら付き合いだしたんだってな」
「つまり、あいつの幸せな姿を見るために、おれはあいつの隣に必要ないということだ」
…少し体がはねたのを、多分ゾロは見逃さなかっただろう。
俯いて目を逸らし、でもやっぱりもう一度ゾロに視線を戻したら、ゾロはおれを見ていた。
「…やっぱり、気付かれてた?」
「バレバレだ。おれはお前を見ていたが、お前があいつを見てただろ」
「…」
「だから、おれの告白も断った」
「はは…」
苦笑するしかない。
その通り、だからだ。
サンジはゾロが好きだと思ったから、ゾロと付き合えればきっと幸せだと思ったから。
「…ゾロには、本当に悪いと思ってるよ。おれの我侭で…」
「おれは、まだお前が好きだ」
あまりにゾロがそっけなく言うものだから、一瞬おれは意味を取り損ねて首をひねる。
「…え?」
「お前が、ナミを好きなコックを好きなようにな。お前が誰を好きでも構わない。だから、おれがお前を思うのも自由だろう?」
「な、何だよそれ、ゾロ…」
思わず、笑ってしまった。
思うのは自由だなんて。まるでサンジみたいな言い方じゃないか。
恋をすると、人は誰でも―ゾロでも―サンジみたいになってしまうのか?いやいや、サンジは常に恋をしているから常にああなのか。
ああ、笑いすぎて涙が出てきた。
「…ゾロ、あー、何だろ、何かすげー吹っ切れた気がする」
「そうか、そりゃ良かったな」
おれはもしかしたら、人が誰かに恋をしている姿が好きなのかもしれない。
おれがサンジを好きなのは、サンジがいつも誰かに恋をして、楽しそうにしているからだ。
だから。
「…なァ、ゾロ。あれってまだ有効?」
「何がだ」
「『付き合ってくれ』ってやつ」
ゾロがこんなに驚いた顔を見たのは、きっとおれが初めてだ。
何だかもうおれは楽しくなってしまって、伸びあがってその頬にキスをした。
ゾロは、おれが誰を好きでも構わないって言ってくれた。
だけど、おれに恋をしてくれるゾロを、おれはきっと好きになるだろう。