ジョニーの持っていた鎮痛剤のおかげか、ゾロの顔色は多少良くなっていた。
それでももちろん固く閉じられた眼が開くことはなく、胸の大きな傷口からあふれる血が止まることもなく。
消毒液、鎮痛剤、解熱剤、包帯、と次々に必要なものが揃えられていくのを、おれは全部メリーに載せてたから、と呟くことで免罪符とした。
「ウソップの兄貴、頭のほうお願いします!」
「お、おう」
「ああ、でも応急処置にしかならねェ。こんな傷…!生きてる方が不思議だ!」
賞金稼ぎ二人は、顔色を悪くし涙を流しながらも、ゾロの体の血をふき取り、包帯を巻こうとしているようだった。
ウソップは仰向けのゾロの頭を膝の上に抱え上げることで、その包帯を背中側に回す手伝いをした。
ぱしゃり、と膝に濡れた感触。
それは海水とゾロの血液が3対7くらいの割合で混じり合った混合物で、ああ、血の汚れは落ちないんだよなあとか、離れた思考でそんなことを考えた。
「兄貴!」
「アニキー!!」
ヨサクとジョニーの涙声。
ゾロが目を開けたのだ。
一瞬そのぼんやりとした目が自分を捉えたと思ったがそんなことはなく、ただ状況を確認しているだけのようだった。
「…ヨサク、ジョニー…」
「へい、兄貴!」
「兄貴!」
「…ウソップ」
「…おう」
かすれた声はまったくもっていつもの彼らしくなく、不覚にも平静を保とうとした声は震えた。
「もうすぐきっと島に着きますから!そうしたら医者にかかれますから!」
「すぐに包帯巻きます。…応急処置ですけど、でも」
「い、い」
言いかけたジョニーの言葉を遮って、ゾロは体を起こした。
と言っても、腹筋に力を込めたのを見て取って、周りの三人がその体を起こすのを手伝ったのだが。
「ぐ……。針と、糸は…ある、か」
「兄貴!こんなところで縫うつもりですか!?」
「嫌ですよおれ!こんな、塩水しかないようなところで…!」
「煩ェ」
ゾロは軽く頭を振る。
自分の言うとおりにならない厄介さを振り払う仕草にも見えたが、それはただ霞む視界を振り払おうとした仕草だった。
「ウソップ、お前は」
「手芸用でいいなら…あるけど」
「縫えりゃ、いい…貸せ」
ウソップの一瞬の躊躇を見て取り、ゾロは重ねて口を開く。
「貸、せ…。自分で縫う」
かすれ震えた声音。出会ってからそう短い時間でもないというのに初めて聞いた、想像すらしたことのなかった声。
「やめてくださいゾロの兄貴!」
「ウソップの兄貴も!それをしまってください!!」
ヨサクとジョニーの声が、酷く遠くから聞こえるような気さえする。
かすれた声が聞いたことのない音だったから。
かすむ視界をどうにかしようと細めた眼が見たことのない色だったから。
差し出された手が震えていたから。
つけようと思えばいくらでもつけられる理由の前に、ウソップは操られるように、鞄から出した糸と針をゾロの手に渡した。
「お前ら、は、出てろ」
「そんな、兄貴!」
「いい…ひとりで、やる」
「出てろ」
重ねられ、ヨサクとジョニーは反論の言葉を失って立ち尽くす。
しかし、ウソップは一歩ゾロに向かって足を踏み出した。
「お…おれは、ここにいる」
「お前も…」
「駄目だ。だって」
出来るだけ明るく笑ってみせる。
「お前手が震えてるじゃん。そんなんじゃ、針に糸、通せねェだろ?」
ああ、うまく笑えただろうか。
顔色の悪いゾロが、ほんの少しだけ苦笑を浮かべてくれたから、きっと、成功したんだと思う。
血は苦手だし痛いのも嫌だ。
自分でも、他人でも。
「ぐ、う……、チキ、ショウ…!」
ゾロの声が響くたびに、ウソップは耳と目を塞ぎたい衝動に駆られた。
銀色の針が肉に突き刺さり、逆から飛び出す。その尻から延びた白い糸は赤く染まりながらその裂け目を不格好につなぎ合わせる。
溢れていた血は今やその量を増し、床を濡らす海水との混合物は、さらにその赤を増す。
ゾロの顔色は蒼白で、その額に脂汗が浮かんでいるのがわかる。
鎮痛剤はもう、打ちすぎなんじゃないだろうか、と考えた。痛そうな顔をしていれば、打つか、と聞いてしまいそうな心を必死になだめる。
長い長い永遠の時間のようにさえ思えた。
ゆっくりと一針一針、ゾロの傷が閉じてゆく。
「ぁ…ぐ……ッ!!」
最後にぎりりとその針を引き、赤い糸はゾロの歯でぶつんと切られた。
「ゾロ!」
自分で自分の傷を縫う、というあり得ない程の重圧から解放され、ゾロがどう、と横に倒れた。
「ゾロ!ゾロ!!」
「うっせ、ぇ…」
「ああチクショウ!馬鹿!しゃべんな!!」
「お前、が、喋んな……響く…」
耳元で叫ばれ、ゾロは落そうとした意識を引き戻される不快感に眉間にしわを寄せた。
「…?」
ふと、その頬に何か温かいものが触れたことに気づく。
血を流し海水に濡れ冷え切った体には、火傷しそうなほど熱いもの。
「…泣いてん、のか」
「わ、悪いか!だって痛ェじゃねェか!おれに泣くなってんならお前が泣けよ!」
ウソップの顔色はゾロに負けないほど悪く、ゾロの頭を抱え上げている腕も同じくらいに冷たかった。
「いいか、お前は死なねェんだ。知ってるか?医者ばっかりいる島のことをさ」
今おれたちはその島に向かっているんだ、そこにたどり着いたら世界一の名医がお前の傷を治してくれるから。
「それに、万能薬があるんだよ、どんな病も怪我も治してくれ、る…」
気づけば、つきなれた嘘が口から飛び出していた。
苦笑でもいいから、一瞬の笑顔が見たくて。
心のどこかで、だけど本当にそんな医者がいてくれればいいなんて勝手に思い込んで。
わかってはいても、同じ嘘をつく。
「馬鹿…はテメェだ。そん、な、島が…あるか」
「っ…」
かすれた声が、ウソップの胸に突き刺さる。
「だ…だってお前がそんな傷で」
生きててほしいんだ、と言いかけた声に、ゾロの声は重なった。
「おれが死なねェって決めたから死なねェんだ」
言いきってがくり、とゾロの体から力が抜ける。
あわててその体を支えると、しかし、すうすうと息の音が聞こえた。
「寝…てる…だけ……」
汗と海水と血で汚れた体を抱きしめる。
「なんだよもう…お前が怪我人のくせに、何で他人を思いやる余裕があるんだっつの…」
またぼろぼろと涙が出てきて、慌てて拭う。
「…バカヤロー」
耳元でつぶやいた声は届くはずがなかろうが、この思いは届いただろうかと思う。
きっとゾロは死なない。
そうゾロが決めたから。
「…ゾロ」
強くならなければならないと思う。
海賊王になる男や、世界一の大剣豪になる男に並んでも引けを取らないような男に。
その隣に、胸を張って立てるように。
笑っていられるように。
緑の頭を抱きしめたまま、ウソップは強く目元をぬぐった。
(…ダケド、オレニハナニガデキル?)
しかしまだ、何度でも問いは胸を焼く。