私にも、譲れないものがあるのです。
まだ 私は歩いてゆける。
サイン
空は青くて何より風が爽やかだった。
夏侯淵は張コウを誘い、この丘に来た。

「ほら見ろよ、いい眺めだなぁ!」
「そうですね」

眼下に広がる壮大なパノラマに、二人目を奪われる。
吹きぬける風が心地よく、目を閉じて寝転びたい誘惑に駆られるが、
景色はその誘惑を断ち切るほどに美しかった。

「あれ、惇兄かなぁ」
「違うんじゃありません?ちょっと背が低いと思います」
「本当だ、違うなぁ」

遠くに見える人影は確かに黒く長い髪をしていたが、背格好が違う。
それからしばらく二人とも、見つけたものを報告しあっては、子供のように笑った。

「…なんて美しいんでしょう」

ふいに、ぽつりと張コウが呟く。

「それに、何て広いんでしょう、この世界は」
「ここから見えるのが全てじゃないだろ」

夏侯淵が答える。

「ここから見えないくらい遠くには蜀の国があって、呉の国だってある。
 広い海があって、その向こうにも世界があって、人が住んでいる」

多分その向こうにも世界があって、人が住んでいて、さらにその向こうにも…
想像できないほどに世界は広い、と夏侯淵は言った。

「んで、きっとどこまでも美しいんだろうな」
「ええ」

張コウは微笑んだ。

それなのに自分の世界は何て小さいんだろう!
張コウは思った。
自分の世界は美しいものと見たくもない程醜いもので出来ている。
醜いものがあるからこそ美しいということが分かるから、
いくら見たくなくても醜いものを捨てることはできない。
全てが美しいものだったら、多分目も心も腐ってしまうだろう。

そして、全てのものが声を合わせて望むのは、ただ一人の幸せだ。
彼が幸せならそれでよくて、出来れば自分をその隣にいさせて欲しい。
それを望み、できるならかなえる為に自分の世界は存在しているのだ。

「張コウ?」
「あ、はい?」
「いや、何だかぼーっとしてるみたいだったから」

張コウはにっこり笑って追求を受け流した。

「…さぁてと、そろそろ戻りますか!」
「もうですか?」

まだここに来てからそんなに時間は経っていない。
太陽だって、まだまだ高い位置にある。

「だって仕方ねえだろ?惇兄に頼みごとされてるんだよ」

夏侯淵の声でその名を聞くたび、張コウの胸に良く分からない想いがこみ上げる。

(きっと、嫉妬と言うのでしょうね)

必要としている人に与えられる信頼感を、その二人が持っているから。
自分にはけして向けてくれない声の響きが、そこにはある。

(だけど、いいのです)

大事な人がただ幸せでいてくれれば。
自分の欲しいものなど二の次以降でいいのです。

「ほら、帰るぞ!来ねえなら置いてくぞー?」
「あ、はい!待ってくださいよー!」
「うん?何だ?」
「気にしないでくださいな、こうしたいだけなんです」

駆け寄って、その腕を取る。
鈍感なあなたは気付きはしないけれど、これが私の精一杯のサイン。
あなたを思っているのですよ、という。

まだ、別に終わったわけじゃない。
負けたわけでもない、ちょっと不利なだけで。
だから、私の足はまだ先に進める。

(私にも、譲れないものがあるのですから。)

少し頑固になるくらいじゃなきゃ、人を愛するなんてできやしない。
 

双方向愛じゃないお話。珍しい!
淵蝶はらぶらぶが好きな人間です。
だけど、思いを伝えないうちに定軍山、は好きです(オイ
悲恋と甘々スキー。

バレバレな元ネタ歌があります笑

読んでくださってありがとうございました!

 
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